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第25話:ずっと技術屋で居られない

2000年代初頭の頃の話である。S電子の子会社で電子部品を製造供給するS電機とアンテナ開発課題で一緒に仕事をしたことがあった。

S電機の技術責任者はP主席で、彼はアンテナ研究開発に携わる工学博士であった。日本にも留学していたそうで日本語が堪能であり丁度S電機が事業化を模索していたアンテナ事業の実質推進者として頑張っていた。

彼は我々日本人技術屋から見てもなかなか確かなアンテナ技術を持っていて日本語が堪能なこともあり、懇意にしてもらった。

さて、我々日本研究所と共同開発していた課題も一段落して半年ほど経ったある日、丁度S電子に出張したついでにP主席を訪ねた事があった。S電子とS電機は出入門は違うが構内はつながっておりS電子に出張した折りにも簡単に訪問出来るのであった。

事前に電話連絡するとなんと彼は人事部に異動になりましたというではないか。仕方が無いので何とか異動先に連絡をとりP主席に面会する事が出来た。

私は彼の技術的な実力を知っていたので「何で技術屋が人事部に異動なんだ?」と問いただすと「私の将来の為に会社がそうしろと言うのです」と言う。話を聞くと博士課程を卒業した工学博士は一応会社の出世コースに乗り、そのような人事が行われると言う。彼は今後の事業拡大の為の核心技術者のリクルートを手始めに行うらしい。「それでは君は今後はアンテナ技術屋ではなくなるのか?」と意地悪な質問をすると彼は困ったような顔をして照れ笑いをするのであった。

この様な人事はS電子でもよく見受けられ、韓国企業では仕事が出来る現役技術者は早い機会に管理職へと昇進し現業を離れて行く。そういう意味では韓国企業での現役技術者としての寿命は日本などに比べて非常に短いと言える。

元々韓国儒教社会では非生産階級であり貴族階級のヤンバンが一番偉く、日本の封建時代の士農工商のような職業の貴賤と言う見方から見れば物造りをする職人は一番下級に見られていた様だ。すなわち技術屋は一番下級な職業なので早く偉い管理職になって自ら手を動かさずに現業を離れて管理職に徹しなければならないと言うことらしい。

この様なことなので韓国社会においては日本のように綿々と連なる技術の蓄積などな望むべくもなく、従って日本のように江戸時代から何代も続いた老舗の技術が尊敬されることもないし存在しないようだ。

技術屋が軽んじられる韓国社会であるから、当然科学技術系学府よりも文系・医学系学府の方に優秀な人材が集まり、IT立国・韓国としての課題点として毎年マスコミにも取り上げられているようである。従ってマスコミで毎年話題に上る、日本を意識した韓国の「自尊心」としての科学・工学系のノーベル賞受賞者などは輩出されるはずも無いのである。

数年前に韓国初のノーベル賞受賞者かと国をあげて期待され自滅した、ES細胞研究者の黄某教授の論文ねつ造事件などは国を挙げての「韓国の自尊心」の期待に負けてしまった良い例で記憶に新しい。

この様な状況を見る限り、まだまだ技術立国日本は安心かなと思うのだが、経済活動の国際化に伴い日本国内で確立した核心技術や核心人材の海外企業流出防止には官民あげて腐心しなければならないだろう。なぜなら海外企業からの日本への経済的還元は無いのだし、さらに日本企業のコンペチターとなり自らの首を絞める可能性が高いからである。


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テーマ : 韓国について
ジャンル : 政治・経済

サマータイム(Summertime)



ジャニス・ジョプリン: ウィキペディア転載
ジャニス・リン・ジョプリン(Janis Lyn Joplin、1943年1月19日~1970年10月4日)は、アメリカ合衆国テキサス州ポートアーサー出身の女性ロックシンガー。魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍。また、死してなおロックの歴史を代表するシンガーとして、今日に至るまで人気を博している。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第28位[1]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第46位。
-以下略-

「サマータイム」(Summertime)は、ジョージ・ガーシュウィンが1935年のオペラ『ポーギーとベス』のために作曲したアリア。作詞はデュポーズ・ヘイワード (DuBose Heyward)。現在ではジャズのスタンダード・ナンバーとして知られ、ポップス、ロックなど幅広いジャンルでも歌われている。

<筆者評>

毎年暑くなってくると思いだされるのがこの曲です。ジャニス・ジョプリンが歌ってから数々の歌手やジャズミュージシャンが取り上げ今ではジャズスタンダードナンバーとして広く愛されているようです。

若い時分にジャニスを初めて聞いた時の衝撃は今でも忘れませんし、もちろん今聞いても新鮮です。

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部品発注後にキャンセル、サムスン電子に課徴金

部品発注後にキャンセル、サムスン電子に課徴金
パク・ユヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版/2012.05.23

韓国公正取引委員会は22日、サムスン電子が2008年から11年にかけ、取引先企業に部品を発注した後、不当に発注を取り消していたとして、課徴金16億ウォン(約1億1000万円)の支払いを求めた。企業の発注取り消しを理由に公取委が課徴金を適用するのは初のケースだ。

サムスン電子に部品を供給するA社は、2年前の10年初め、サムスン電子の調達担当者から「生産計画の縮小で、部品発注を取り消す」との電話連絡を受けた。A社は既に部品の生産を終えている状態で、しかも他社との互換性がないため、代替納入先を確保できなかった。A社は契約通りの納品を要求したいところだったが、取引関係が断たれることを恐れ、泣く泣く同意した。サムスンは数日後、別の部品を代わりに発注したが、発注額は当初の半額程度で、A社は結局数億ウォン(数千万円)の被害を受けた。

■不当キャンセル、3年で2万8600件

公取委はサムスン電子が過去3年間に行った150万件に上る発注内容を細かく調べ、2万8574件の不当な発注取り消しがあったことを確認した。総額は600億ウォン(約41億2000万円)相当で、いずれも取引先に責任はなく、特定機種の生産停止などサムスン電子側の事情によるものだった。

公取委は「取引先が製品の生産済みだったり、生産準備を終えていたりする段階でサムスン電子が独断で発注を取り消したのは、明らかに下請け法違反だ」と指摘した。

■サムスン、公取委に反発

これに対し、サムスン電子は報道発表を通じ、公に反論している。同社は「発注取り消しは下請け企業の同意に基づくもので、同意しない企業については、廃棄処理を覚悟で納品を受け入れた」と説明した。

サムスン電子は、公取委が発注取り消しと判断した2万8574件のうち、14.2%に当たる4051件は、発注取り消し後に取引先が同意せず、納期後に発注製品を受け取り、代金を支払ったケースだと指摘。残る2万4523件のうち78.4%の1万9234件に関しては、再発注が行われ、残る21.6%に当たる5289件については、取引先が完成品を生産していなかったため、直接被害はなかったとした。


サムスン電子関係者は「発注取り消しは、取引先の同意が前提となっており、下請け企業で被害を受けたところは1社もない」と断言した。

しかし公取委は、明らかに被害があり、サムスンには違法行為があったと指摘した。公取委関係者は「発注取り消しの大半は、納期後になされており、取引先は在庫負担、半製品や原材料の処理、生産計画への支障などによる付加的な被害を受けた」と指摘。その上で「再発注は発注取り消しそのものに対する補償とはなるが、付加的な被害への補償とはならない。再発注額が当初の発注額を下回った場合には、発注取り消しに対する補償も不十分だ」とした。

サムスンと取引関係にあるA社の関係者は、本紙取材に対し「いくら再発注があるといっても、本来の契約が履行されるのに比べ、さまざまな被害が発生する」と話した。

公取委はまた、発注取り消しに対する「同意」が事実上の圧力によるものだったとみている。公取委関係者は「調査では、やむを得ず同意した企業から証言を得た」とした。

サムスン電子関係者は「1日の間に同じ企業との間で、注文とキャンセルが何度も繰り返されるIT産業の事情に公取委の理解が足りない。ノキア、アップルなどの多国籍IT企業はいずれもサムスンのような発注システムを持っている。なぜ韓国の公取委だけがそれを問題視するのか分からない」と不満を語った。

<筆者所感>

高周波関連部品、特に携帯電話アンテナ関連での付き合いが長かった筆者はこの記事に対して、韓国国内のサムスン叩きと言う文脈かと思うのである。

今や携帯端末機の世界トップシェアを確保したサムスンにとって端末コストを決定する部品の購買戦略は非常に重要である。また多機種・大量生産を可能にする為の部品の発注・工場納入システムもまた非常に重要になってくる。サムスンにとっては現在の生産計画に対してジャストインタイムで部品業者から工場に部品納入されるのがベストであるわけで、その為に発生する摩擦はどこかで解消しなければならないが、部品業者側が泣くのが通例となっているようだ。日本でも昔トヨタとその部品納入下請け業者の関係が問題視された事があった。

例えばアンテナ等は一機種ごとに仕様が違うので、購買発注時にその機種の生産見込み生産量が提示され、金型費の償却等を考慮して納入単価が決定される。しかし携帯端末事業はアパレル業界的な側面もあり、発売後消費者に気に入られるいわゆる人気機種になれば最初の見込み生産量をかなりオーバーし納入されることもあるし、また逆に不人気機種であれば早々に生産打ち切りとなることも多い。

またジャストインタイム方式の工場納入に対応するためには部品業者の生産ラインではどうしても受注数量以上の在庫を抱える必要があるようだ。サムスン購買が一番嫌うのは工場生産に対しての納期遅延だからである。

一つの部品に対して複数の部品業者から納入させると言う複数購買の購買戦略を採用しているので、納期遅延の不具合を出した業者は次回からの受注に非常に支障が出てくるのは言うまでもない。

話しは変るが、2000年初頭頃は携帯電話の核心部品のかなりの多くは日本の部品業者が供給していた。現在の携帯電話事業部の社長もその頃は核心部品の安定供給を求めて日本の部品会社を訪問して頭を下げて回ったと聞く。

その後核心部品の安定供給、特に韓国内供給化が模索されたのだろう。サムスン電子をスピンアウトして携帯電話用高周波部品供給会社を興したP社などは、当時プレハブ工場で細々と活動していたが、現在では立派な自社ビルを構え、コスダックに株式上場するまでに成長した。

サムスン購買は同一部品を複数の供給業者で競争させる事で部品購入価格と品質向上を徹底させる。例えば一つの業者の部品が他社より性能的に優れているとすると複数購買の威力を発揮できないので、優れている業者の部品仕様や製造ノウハウ等を提出させ、その情報を他社に開示する。一昔前は日本部品の情報を韓国内育成子会社に開示し性能向上を図らせると言った事が頻繁に行われていた様だ。一寸日本では考えられない様な事ではあるが、そうして国内業者の育成を図って来た。

この様にしてサムスンの流儀を理解した上で言いなりになる家来会社を育てて来たのだ。勿論サムスンにとっても家来会社にとってもビジネス的にはウィンウィンの関係である事は間違いない。旧来は単なるアッセンブリー会社であったサムスンも今や全ての部品をグループ内や関連協力会社で調達できるまでに成長させ、今日の成功が在るのだろう。サムスン恐るべしである。

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テーマ : 韓国について
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第24話:韓国結婚披露宴風景

L電子中央研究所の技術顧問をしていた時たまたま同僚の結婚披露宴に参加したことがあった。

その一ヶ月程前の勤務中に彼が私の所に来て今度結婚しますので披露宴に参加して下さいと招待状を届けにきたのだ。「いいよ、おめでとう!」と快諾したのだがしばらく忘れていて数日前に思いだし慌てたのだった。

日本から礼服を持参するのを忘れたのだ。日本人の感覚からすれば披露宴の服装は礼服着用と思いこんでいたのであわてて秘書役のC代理に尋ねるとスーツで充分ですとの事で一安心。祝い金は最低2万円くらいだなと踏んでいたのだが5千ウォンで充分とのこと。

さて休日の当日、招待状の地図を頼りにホテルからカンナム地区の地下鉄駅近くの会場に無事たどり着いた。入り口付近でたむろしながらタバコをふかす同僚達を見つけて一安心。何しろ初めての経験なのでどんな作法で披露宴に参加していいか判らず多少は心細かったのだ。

同僚の指示でまず受け付けで祝い金を納めろと言う。ここまでは日本と同じだなと思いつつ受付に行くと新郎新婦が出迎えている。やあやあおめでとうと挨拶を交わし、次はどこだと尋ねると、下の階の会食会場へと案内される。はあ、そこが披露宴会場かと納得して向かうとそこはなんとただの広い食堂の様な場所で、バイキング形式で色々なメニューを自由に取って食事が出来る場所である。もちろん酒類もそろっていて親類縁者とおぼしき人たちがあちらこちら集まり賑やかに食事をしている。新郎新婦は見あたらない。

丁度昼食時であったので私も同僚達とたらふく飲み食いし、ところで新郎新婦はどこに居るのかと尋ねると、それでは行って見ましょうと連れ出された。

そこはさながらホテルのレセプション会場の様な場所で新郎新婦と近親者と見られる方達が韓国式の正装で、雛壇の様な少し高くなった場所で次々と訪れる参列者と記念写真など撮っている。我々も折角だからと記念写真に収また。

次はどうすると同僚に尋ねるともういつでも帰っていいですと言う。式次第通りに進行する日本式の披露宴を想像していた私はなんと締まりのない披露宴なんだと感じたのだが、考え直してみると韓国式披露宴の方が何か合理的に思えてくるのだった。

新郎新婦及び近親者は予め決められた披露場所で次々に現れる祝い客の祝福を受ける。祝い客は別室に設けた飲食会場で三々五々気ままに飲食するし服装も特別にフォーマルでなくて良い。後で聞いた話だが別に招待されていなくとも祝福に駆けつけて何の問題も無いそうだ。

国全体がまだ貧しかった戦後の昭和時代には日本でもこうであったろうと彷彿させる様な、素朴な気取らない結婚披露宴の形が残っていた披露宴に参加して、なんとも心温まる気分の一日であったのである。


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ジャンル : 結婚・家庭生活

韓国への戦術核再配備論議

「韓国への戦術核再配備論議、日本の右派を刺激」
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版/2012/05/14/チョン・ヒョンソク記者

橋下大阪市長「強い日本をつくるため、核武装が必要」
「非核3原則」守るも、プルトニウム50トン保有

米国の戦術核が韓国に再び配備された場合、日本が核武装するための大義名分を与えかねないと懸念する声が出ている。

日本は憲法で「戦争と武力行使の放棄」を定めている。1968年1月には「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核3原則」を発表し、これを守ってきた。日本が数千個の核兵器を製造できる約50トンのプルトニウムを保有しながら、核開発に着手しないのはそのためだ。

ところが最近、日本の非核政策に変化が表れ始めた。次世代の政治指導者として頭角を現している橋下徹・大阪市長は「強い日本をつくるためには核武装が必要だ」と主張している。また、日本の代表的な右翼政治家、石原慎太郎・東京都知事も日本の核武装を強く求めてきた。石原知事は今年1月のインタビューで「(結成を推進している)新党への参加は、核兵器の模擬実験の実施を提唱することが条件だ。それが駄目なら、スーパーコンピューターを通じてでも模擬実験ができるようにすべきだ」と語った。右派政党の支持率の上昇を意識した自民党などでも、憲法改正論議が活発に行われている。韓国政府は、米国議会で韓国への戦術核再配備を主張する声が出てきたことが、日本の右派を刺激しかねないとの見方を示している。

<筆者所感>
記事の論点がまことに曖昧な内容である。記者は韓国内に米国の戦術核が再配備されれば日本国内の核武装推進派の行動に勢いをつけると言う論旨なのか?
現在テロ国家北朝鮮の核再実験の危機が高まり、米中ロを含む国際社会もこれは阻止出来ないであろうから早晩北朝鮮は核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルを配備するに違いない。

その時に韓国と日本の立場は当然異なってくる。米ソ冷戦後唯一残った分断国家である北朝鮮と韓国は歴史の帰結としていずれ統一される。その時には核武装した統一朝鮮か統一韓国が朝鮮半島に誕生する。

有史以来殆ど中国歴代皇帝に仕えてきた朝鮮民族であるので当然政権は親中政権になるだろう。核武装した覇権国家中国と徹底した半日国家である統一朝鮮に対峙して日本は抑止力である核武装無しにどの様な外交力を発揮出来るのであろうか?

要するに記者は近い将来の核保有国家である統一朝鮮もしくは統一韓国を意識した上で日本の核武装化を牽制しているのであって誠に面はゆいのである。

近い将来政権を取りそうな勢いの橋本大阪市長や石原東京都知事の日本核武装論はそんな極東軍事バランスを考慮した発言であろうし極右政治家などという一括りで片づけられる問題では無い。現在の北朝鮮は極右国家だと言うのか?

とにかく日本の国益を考えればイデオロギーを超越した超党派ですぐにでも憲法改正も含みこの問題の論議を開始すべきである。

幸い記事にもある通り既に充分なプルトニウムは保有しているし、また緻密な衛星打ち上げロケット技術も保有している等技術的要件は全て保有している日本であるので搭載する原子力潜水艦の建造も含めて議論を始めるべきであろう。

とにかく議論を始める事自体が充分な軍事的抑止力を保持することになり、領土問題等も含め極東の厄介な隣国達に対する強力外交戦略の助けになると筆者は考えるのである。

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テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

第23話:打たれた犬はしょげかえる

S電子日本研究所時代の話である。我々日本人研究員と親会社であるS電子韓国研究所との様々な研究開発契約のプロジェクト推進マネージャーである韓国人駐在員のk次長は筆者から見ても有能でありまた日本人の情緒から見ても好感の持てる人物であった。

彼は元々韓国本社のTV事業部の技術者で、日本駐在員の社内募集に応募し日本で勤務していた。そんな訳で我々日本研究員が作成した技術プレゼン資料等にも、専門分野は違うが一応理解し、その技術ストーリーに関しても逐一口を挟んで来るのが常だった。

そんなある日、我々は来年度に向けた比較的大きな研究開発プロジェクトの技術ストーリーを検討していた。技術ストーリーはいわゆるシックスシグマの科学的技術課題評価の手法に則って策定する。要するにこれから進める研究開発が投資対効果に見合うものかどうかについて検討し、その策定には集中して行っても3ヶ月間は雄にかかってしまう。策定された資料は上部組織である本社研究所でプレゼンし承認されれば来年度予算が降りるという非常に重要な資料である。

k次長はいつもの通り元技術屋の性分で色々プレゼン資料のたたき台に口を出し、ああでのないこうでもないと言い出したのであった。作成者の私は内容について事前に韓国研究所の当該責任者と打ち合わせしてあったので自信があったのだが、k次長も当日は機嫌が悪かったらしく、最後にはこんな内容では予算も降りっこないし、来年は失業ですねと言い出す始末であった。

一応彼は韓国側への窓口でもあるので、それまでは懇切丁寧に説明していた私もついにキレて「そんなに言うならお前はもう窓口を降りろ、後は直接私がやるからいいよ」とフロアー全員に聞こえる位の大声で怒鳴ってしまった。彼は一瞬困ったような顔をしたが「後は勝手に進めて下さい」と黙ってしまった。どうせ韓国側との折衝に行き詰まり途中で謝って来るだろうと高をくくったようだ。

こうした一件の後、仕方がないので私が直接韓国研究所と数ヶ月間連絡をとりつつ、何とか来年度予算が降りる状況にまでもっていくことができた。その間当然窓口であるk次長のところにも案件絡まりのメールが入るのだが、彼は口もきかずにただメールを転送してくるだけだった。

さて、最終的に本社研究所役員に対するプレゼン日程を決め出張準備中のある日、数ヶ月間無視され口も聞かなかったk次長が神妙な顔でデスクに訪ねて来ると「今度のプレゼンに私も是非参加させて下さい」と頭を下げた。自分抜きで巧くいくはずがないと思っていた彼は面子がつぶれるのを恐れ焦って折れてきたのだろう。「君は日本側窓口なのだから当然参加しなきゃだめだよ」と言う大人の対応に彼はほっとしたような表情でほほえんだ。

彼がいなくてもプレゼンはうまくいくのは判っていたが、彼の日本研究所内での面子をつぶすのは得策でないと思っていたので筆者も一安心したのであった。

その後プレゼンは成功裏に終わり、次年度予算も無事に降りる事となり我々は失業せずにすんだ。またその後筆者が策定した研究開発課題プレゼン案の内容について、k次長が口出しする事は一切なくなった事は言うまでもない。

話は変わるが、最近の韓国は官民マスコミ問わずまるでよく吠えるストーカー犬のように日本のあらゆる事象に口出ししてくる。竹島教科書問題や戦時売春婦(慰安婦)問題が良い例である。犬の遠吠えと考え無視すればいいのだが、内政干渉もいいところでうるさくて仕方がない。

吠える犬は犬であるから一度したたかに打ち据えて吠えてはいけない事を体をもって教える必要がある。よく切れる刀も一度抜いて見てこそ持っている価値があると近頃筆者は思うのである。

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テーマ : 研究者の生活
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裏窓


浅川マキ : ウィキペディア転載
石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒業。町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイのようなスタイルを指向し、米軍キャンプやキャバレーなどで歌手として活動を始める。
1967年にビクターからEP「東京挽歌/アーメン・ジロー」を発表するも本人と事務所の音楽的指針に大きな乖離があり、当時の出来事がその後の活動に影響を与えた。
1968年、寺山修司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り催行、口コミで徐々に知名度が上がる。やがて東芝音楽工業株式会社(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍、1969年7月1日、EXPRESS-レーベルより「夜が明けたら/かもめ」で正式にレコード・デビュー。以後移籍することなく1998年まで作品を発表しつつステージを主体に音楽活動を行う。特に池袋「文芸坐ル・ピリエ」で1997年まで催行した大晦日連続定期公演は有名である。
CDの音質に対して懐疑的であったため、1998年より新譜を発表していないが、2000年以降はジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を再開。2000年3月26日から11月26日の「新宿PIT INN」では、『毎月・最終の日曜日 浅川マキを聴く』と題し、アカペラによる公演を行った(全9日、昼夜2回。計18公演)。
「渇いたブルースをうたわせたら右に出る者はいない」と言われ、ジャズ、ブルースやフォークソングを独自の解釈で歌唱した。
2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に滞在中、宿泊先ホテルで倒れていたところを発見され、搬送された病院で死亡が確認された。67歳没。愛知県警中警察署によると、死因は急性心不全とみられる。
2010年3月4日、「新宿PIT INN」にてお別れの会『浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら・浅川マキがサヨナラを云う日」』が催行された。ここでは真赤なバラの花の献花台とメッセージ・ボックスが用意され、彼女の生前の作品が流された。

<筆者評>
作詩:寺山修司、曲:浅川マキの「裏窓」は数ある作品の中でも特にお気に入りです。若い頃からライブには良く顔を出し近年は遠ざかっていましたが、一昨年の訃報を知り聞きなおしてみると彼女の独特な感性に引き込まれます。解説にもありますように彼女のノンビブラートの乾いたブルースは時の流れを超え筆者の心をかきむしります。
2曲目です。

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プロフィール

RFD-Lab管理人

Author:RFD-Lab管理人
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通信機器の高周波回路・部品の研究開発に携わって来た技術屋のブログです。現在は個人経営の技術コンサルタントを営んでおります。
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最近「ドローン」の無線応用技術についてスタディーを始めました。自動配達の為の自律飛行を補助する衝突防止レーダ等、興味深い分野です。
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​「ドローン」墜落事故が散見される中、現在は「航空法」に依って規制され、ラジコンによる「目視飛行」が許可されている様ですが、安全飛行の為には無線通信の確保が大前提となります。
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またRFD-Labホームページに掲載した技術解説記事のPDF抜粋も併せて掲載しますのでご興味のある皆さんは参照して下さい。

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