第31話:ゴルフ親睦会
ちなみに筆者の唯一の趣味はゴルフである。若い頃は主にスキーに親しみ、ゴルフなんてスポーツじゃないと興味もなかったのだが、前の会社で営業担当専務が、これからは技術者もゴルフ位たしなみプレーを通じて顧客ともっと通じ会わなければとの鶴の一声で始めたのだ。専務の話しによると、顧客と親しくなるには夜の酒の席よりも一日中ゴルフと言う同一の趣味で長時間一緒に過ごす事で親密感が一層増すのだそうだ。
当時はひどいもので予め私も参加しなければならないコンペの日取りを勝手に決めさあ練習しろと言うわけで、あわてて安物の用具一式を買いそろえ一ヶ月先のコンペに向かい練習を始めた。取り立ててティーチングプロに教えを請うた訳でもなくいわゆる教則本を頼りに一人で練習した。元々性に合っていたようで直ぐにとりあえず真っ直ぐ打てる様にはなりコンペに参加した。
コンペでは言い出しっぺの専務と同じ組で回らされ、ハーフ50・60のトータル110で初めてのラウンドが終わった。専務からは本当に初めてとは思えないとお褒めの言葉を頂きこれならいつでもお客さんに迷惑をかけずに一緒に回れると持ち上げられたものであった。自分でもひょっとすると才能があるかもと誤解し、集中的にやらなければとその年は30ラウンドもしたが、結局スコアは90を切るか切らないかで打ち止めとなったのであった。
さて、S電子日本研究所に勤務したてのある日、研究所運営責任者のK常務が、所内の親睦会でゴルフ部を作ったらどうかと相談に来て私に部長になってくれと要請されたのであった。断る理由も無いので快諾したが、最初の会長の仕事はK常務の部下の韓国人駐在員のP部長・K次長のゴルフ場デビューであった。彼らもK常務から研究員親睦のため君たちもゴルフを始めなさいと言い渡されていたのだろう。
ある週末の土曜日、ゴルフ場でのマナーのレクチャーと実際の芝コースでのプレーと言うことで、近郊のいわゆる河川敷コースに彼らを連れだしプレーを始めた。彼らはそれまでに一応練習場のティーチングプロについて基本的なフォームは練習していた様であるが散々な結果であった。予めボールは安いロストボールで良いから一ダース以上持ってくるように指示してあったが、ハーフラウンドで早々と底を突く状況。こんな事もあろうかと私が準備したボールまで手を出すしまつである。
彼らは必死にスコア-を付けようとしていたのだが計算機が必要な様な始末なので、途中で中止させる。「今日は初めてなので、芝の感触とマナーの研修だけにしよう」と納得させた。カートでのセルフプレーだったが駐在員たちは殆ど乗ることなく、手に常に数本のアイアンを持ちコースの端から端へと飛び回っていたのだった。
丁度5月中旬頃の出来事だったと記憶しているが、汗だくになってコースの端をボールを探しまわりながら走りまわる彼らの姿がまだ瞼の裏に残っている。「こいつら才能無いな」と思ったのだがその考えは後に覆されることになる。プレーが終わり疲れ切った彼らは、奥さんたちへの土産としてプレゼントした地元の新鮮野菜の詰め合わせを持って東京へと帰って行った。
ちなみにS電子の本社では常務クラス以上でないとゴルフプレーは禁止という暗黙のルールがあるようだ。また昇進時期に新たに昇進した常務連中を集めた社内コンペがあるらしく、昇進の期待を持つ部長級の職員は恥をかかない様にひそかにティーチングプロに付いて予め練習をするという噂を聞いた事がある。ゴルフまで競争社会かと多少呆れる話しである。
その後、研究所のゴルフ親睦会でも、また彼らとのプライベートなラウンドでも一緒にプレーするようになったのだが、何と彼らの上達ぶりは目を見張るものがあった。彼らを初ラウンドに連れ出してからほんの半年ほどでほぼ私と同程度のスコア-で回るようになり、一年経つと私を凌ぐスコアで回るようになった。
終いには「Hさん、何年ゴルフやってんですか?」と彼らにからかわれる始末である。聞いてみると彼らは週末には必ず練習場でティーチングプロに付いて練習しているそうで、日本駐在中の週末の良いストレス発散方法が見つかったかの様である。
それにも増して、野球やサッカーの日韓戦を見てもスポーツを楽しむと言うより何が何でも勝敗にこだわる韓国人とその集団を見ても納得できるように、同僚とのゴルフでも絶対に負けたくないと言う韓国人の負けず嫌い・根性の様なものを見せてくれたのであった。
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当時はひどいもので予め私も参加しなければならないコンペの日取りを勝手に決めさあ練習しろと言うわけで、あわてて安物の用具一式を買いそろえ一ヶ月先のコンペに向かい練習を始めた。取り立ててティーチングプロに教えを請うた訳でもなくいわゆる教則本を頼りに一人で練習した。元々性に合っていたようで直ぐにとりあえず真っ直ぐ打てる様にはなりコンペに参加した。
コンペでは言い出しっぺの専務と同じ組で回らされ、ハーフ50・60のトータル110で初めてのラウンドが終わった。専務からは本当に初めてとは思えないとお褒めの言葉を頂きこれならいつでもお客さんに迷惑をかけずに一緒に回れると持ち上げられたものであった。自分でもひょっとすると才能があるかもと誤解し、集中的にやらなければとその年は30ラウンドもしたが、結局スコアは90を切るか切らないかで打ち止めとなったのであった。
さて、S電子日本研究所に勤務したてのある日、研究所運営責任者のK常務が、所内の親睦会でゴルフ部を作ったらどうかと相談に来て私に部長になってくれと要請されたのであった。断る理由も無いので快諾したが、最初の会長の仕事はK常務の部下の韓国人駐在員のP部長・K次長のゴルフ場デビューであった。彼らもK常務から研究員親睦のため君たちもゴルフを始めなさいと言い渡されていたのだろう。
ある週末の土曜日、ゴルフ場でのマナーのレクチャーと実際の芝コースでのプレーと言うことで、近郊のいわゆる河川敷コースに彼らを連れだしプレーを始めた。彼らはそれまでに一応練習場のティーチングプロについて基本的なフォームは練習していた様であるが散々な結果であった。予めボールは安いロストボールで良いから一ダース以上持ってくるように指示してあったが、ハーフラウンドで早々と底を突く状況。こんな事もあろうかと私が準備したボールまで手を出すしまつである。
彼らは必死にスコア-を付けようとしていたのだが計算機が必要な様な始末なので、途中で中止させる。「今日は初めてなので、芝の感触とマナーの研修だけにしよう」と納得させた。カートでのセルフプレーだったが駐在員たちは殆ど乗ることなく、手に常に数本のアイアンを持ちコースの端から端へと飛び回っていたのだった。
丁度5月中旬頃の出来事だったと記憶しているが、汗だくになってコースの端をボールを探しまわりながら走りまわる彼らの姿がまだ瞼の裏に残っている。「こいつら才能無いな」と思ったのだがその考えは後に覆されることになる。プレーが終わり疲れ切った彼らは、奥さんたちへの土産としてプレゼントした地元の新鮮野菜の詰め合わせを持って東京へと帰って行った。
ちなみにS電子の本社では常務クラス以上でないとゴルフプレーは禁止という暗黙のルールがあるようだ。また昇進時期に新たに昇進した常務連中を集めた社内コンペがあるらしく、昇進の期待を持つ部長級の職員は恥をかかない様にひそかにティーチングプロに付いて予め練習をするという噂を聞いた事がある。ゴルフまで競争社会かと多少呆れる話しである。
その後、研究所のゴルフ親睦会でも、また彼らとのプライベートなラウンドでも一緒にプレーするようになったのだが、何と彼らの上達ぶりは目を見張るものがあった。彼らを初ラウンドに連れ出してからほんの半年ほどでほぼ私と同程度のスコア-で回るようになり、一年経つと私を凌ぐスコアで回るようになった。
終いには「Hさん、何年ゴルフやってんですか?」と彼らにからかわれる始末である。聞いてみると彼らは週末には必ず練習場でティーチングプロに付いて練習しているそうで、日本駐在中の週末の良いストレス発散方法が見つかったかの様である。
それにも増して、野球やサッカーの日韓戦を見てもスポーツを楽しむと言うより何が何でも勝敗にこだわる韓国人とその集団を見ても納得できるように、同僚とのゴルフでも絶対に負けたくないと言う韓国人の負けず嫌い・根性の様なものを見せてくれたのであった。
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