第21話:I部長出社拒否事件
確か1990年代前半のもう年末の出来事だったと記憶している。私と研究開発プロジェクトマネージャーのk次長はある研究開発課題の打ち合わせで本社事業部開発部隊を訪問した。当時まで開発部隊は郊外の総合研究所内で仕事をしていたが、丁度彼らが開発したGSM携帯電話が売れ始め業務拡大に伴い本社事業部内に20数階の新ビルディングを建てに引っ越ししたばかりの頃であった。
本社事業部開発部隊にはk次長がよく知るI部長が開発支援室に勤務しており、私も前から存じ上げていたので挨拶して行こうと言う話になった。I部長は永年S電子日本本社に駐在され、日本語も堪能な方で、日本ではK次長と隣り合わせのマンションに住んでいたそうである。
そんな訳でK次長が連絡をとったところ、暗い顔で「I部長は一週間ほど出社してないそうです」とつぶやいた。その後あちこち電話を掛けまくり事の真相を確かめた所、次の様な理由であることが判明した。
S電子に限らず一般的な韓国企業の事業年度は1月から12月で、12月は丁度年度末にあたる。年度末は次年度の新体制を睨んだ昇進内定時期にあたり丁度そういう年齢に達し常務への昇進を確信していたI部長に昇進の内定は出なかった様だ。彼の落胆ぶりは甚だしく一週間に及ぶ出社拒否という仕儀になってしまった様である。
人事担当者からは本社事業部内には彼の常務昇進ポストは無く、地方にある本社工場に転勤すれば常務ポストが空いていると言われたそうだが、悩んでいたそうだ。
元々韓国社会は一点集中主義で、勤務するならソウルもしくは近郊で、地方への転勤など彼らの自尊心が許さないそうである。従って地方転勤を命じられた社員は左遷されたと解釈してさっさと自主退職する場合も多いそうである。
後日談だが彼は我慢して工場購買担当常務を数年勤めた数年後、本社事業部と工場の購買部門統合により無事に本社事業部購買部門に戻ってきた。現在では日本語が堪能な事から、日本の部品納入業者などから頼りにされている存在であるという。
それにしても小学生の様に駄々をこね、一週間も登校拒否するI部長の自尊心も大したものだが、その後何事も無かった様に勤務させる会社も会社であり、韓国社会は情実社会であるという現実を目にすると、本当に愛すべき隣国人たちであると実感するのである。
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本社事業部開発部隊にはk次長がよく知るI部長が開発支援室に勤務しており、私も前から存じ上げていたので挨拶して行こうと言う話になった。I部長は永年S電子日本本社に駐在され、日本語も堪能な方で、日本ではK次長と隣り合わせのマンションに住んでいたそうである。
そんな訳でK次長が連絡をとったところ、暗い顔で「I部長は一週間ほど出社してないそうです」とつぶやいた。その後あちこち電話を掛けまくり事の真相を確かめた所、次の様な理由であることが判明した。
S電子に限らず一般的な韓国企業の事業年度は1月から12月で、12月は丁度年度末にあたる。年度末は次年度の新体制を睨んだ昇進内定時期にあたり丁度そういう年齢に達し常務への昇進を確信していたI部長に昇進の内定は出なかった様だ。彼の落胆ぶりは甚だしく一週間に及ぶ出社拒否という仕儀になってしまった様である。
人事担当者からは本社事業部内には彼の常務昇進ポストは無く、地方にある本社工場に転勤すれば常務ポストが空いていると言われたそうだが、悩んでいたそうだ。
元々韓国社会は一点集中主義で、勤務するならソウルもしくは近郊で、地方への転勤など彼らの自尊心が許さないそうである。従って地方転勤を命じられた社員は左遷されたと解釈してさっさと自主退職する場合も多いそうである。
後日談だが彼は我慢して工場購買担当常務を数年勤めた数年後、本社事業部と工場の購買部門統合により無事に本社事業部購買部門に戻ってきた。現在では日本語が堪能な事から、日本の部品納入業者などから頼りにされている存在であるという。
それにしても小学生の様に駄々をこね、一週間も登校拒否するI部長の自尊心も大したものだが、その後何事も無かった様に勤務させる会社も会社であり、韓国社会は情実社会であるという現実を目にすると、本当に愛すべき隣国人たちであると実感するのである。
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